ドキピー

優しい檻

ため息で充満した部屋がとても息苦しくて、逃げ出したくなった。
逃げ出した先は、行ってはいけない所だった。







タクシーに乗っている間に雨脚は強さを増して、はうんざりと表情を曇らせた。
確かにこの季節になってから、中途半端な時間に雨が降る。
昼間は降りださなかったものの、夕方に少し振ったりやんだりしていた。
しかしその時間は建物の中にいたのでには関係なかったし、外に出た時にはやんでいたから、傘を持って来なかった自分に天気が味方してくれたのかと少し感動したほどなのに。
当たっては砕けて滑り落ちる雨粒をガラス窓に見ながら、傘を買わなければならないとは思った。

そうこうしている間にタクシーは目的地へと到着し、深夜の繁華街へとは降り立つ。
タクシーから降りた途端、パーカーのフードを被って、目の前にあったマクドナルドまで走った。
しかしこの雨脚ならば、傘を差していてもずぶ濡れになりそうな気もする。
あまり何も飲む気は起きなかったが、コーンスープを注文した。
普段あまりホットは飲まないが、しかもこの時期にホットを飲む事も滅多にない。
禁煙のフロアしかあいてないようなので、は仕方なく窓際のカウンターに腰をおろした。
コーンスープに口を付けると、多少雨に濡れて冷えていたので、身体が温まる。
待ち人に行き先を告げていなかったのを思い出して、携帯を取り出してメールを打った。
するとすぐに返事が来て、向こうもタクシーで向かっているという。
場所的に、きっともう5分もすれば彼は来るだろう。


剛はどうしているだろうか、は思った。
もう深夜も2時になるだろうこの時間だから、仕事に備えて寝ているかもしれない。
でももしかしたら剛の事だから寝ないで朝を迎えて仕事に行くかもしれない。
会いたいと思ったけれど、そういうわけにもいかなかった。
でももし、会いたいと我侭を言ったら剛は会ってくれるだろうか。
こんな事考えるだけ無駄だ。
嫌われないように、出来るだけクールでいなければ。
こんな女々しさ全開の自分を剛が受け止めてくれるとは思わない。
だから、呼び出したのは剛ではない別の男。


一階へと続く階段へ視線を向けたら、待ち人が階段をのぼってやってきた。
雨に濡れたのだろう。
黒髪が張り付いて、妙に色っぽい顔でその人は微笑んだ。
岡田准一が、の隣に座った。
なんだか恥ずかしくなって、チラリと横に座った彼を見ただけで、は再び正面を向いた。


「傘、持ってる?」
「持ってない」
「はあ?岡田くんが持ってるの期待してたんですけど」
「だって降ってなかったんだもん」


やはり買わなくちゃいけないのか。
また家にひとつビニ傘が増える。
母親に小言を言われるかもしれない。
ああでも、岡田にあげればいいか。


「最近メールくれなかったから、てっきり剛くんと仲良しこよしでやってんのかと思ってた」


岡田の言葉にふっと、笑う。


「仲良しこよしって」
「仲良しこよしじゃないの?」
「仲良しこよしだよ」
「良かったじゃん」
「嘘だよ。別に仲良しこよしなんかじゃない」


剛の事を考えると辛い。
何だか解らないけれど、ただ漠然と、昔みたいに幸せな気持ちでいられるわけではなくなってしまった。
でも諦める事もできない。
手放す事などできない。
積み重なった剛への愛しい気持ちが、宇宙に散らばる星たちのように消えてゆくのなら、こんなに悩まないかもしれない。


「そんな悲しい事言わないで」


静かな低い声で、岡田は言った。
この人は、どういうつもりで呼び出しに応じてこんな所まで来たのだろう。
自分と剛の仲の心配までして。


「岡田くんて解んないよね。B型だし」
「B型は関係ないでしょ」
「でも岡田くんのB型はあたし許容範囲だよ」
「ありがと」


カウンターに乗せていた右手が、岡田の左手と絡まる。
心臓が大きな音をたてたけれど、それを顔に出さないように、視界の端にそれを映した。


「会いたかったから、連絡くれて嬉しかった」


淡々と、恥ずかしげもなく岡田は言う。


「あそう」
「どうする?」
「漫画喫茶」
「漫画喫茶かー…でもエッチするにはスリリングすぎない?」


岡田が、何もかもを見透かしたような眼でを見た。
顔が今赤くなっているかもしれない。


「あたし別に欲求不満なんかじゃないよ」
「寂しいんでしょ」
「うるさいな」
「剛くんのかわりになったげるよ」


こうなる事くらい解っていた。
解っていて呼び出したのに、後悔している。
こんな関係は、自分には向いてなさすぎる。
それでももう引き返せないから、岡田の言葉には頷いた。




ぼんやりとした空気の中、岡田に口づけられて、何も考えるのはよそうと思ったのにそれは出来なかった。
集中なんか全くできない。
岡田の背中に手を回して、心の中に影を落とした頭の中には、大好きな剛の笑った顔だけしか思い出せなかった。
当たり前のように胸は締め付けられて、今のこの時間に同じようにこんな苦しい気持ちが剛にも降り注げばいいと思う。
そしてやっぱり、積み重なった剛への愛しい気持ちが、宇宙に散らばる星たちのように消えてゆけばいいと思った。




2007/6/21 18号