ため息すら愛しいのに
こんなに胸が高鳴るのっていつぶりだろうか。
今のわたしはテレビの画面を見ていて心臓がぎゅうぎゅう締め付けられるような気がして、とにかく誰かにこの人が好きなのと言って回りたい。
だけどなまじっかいつも隣にいる恋人は同業。話せない。
そのせいでやその元カレの相葉ちゃんにしばしばLINEしてしまって、ごめんなさいって思うけど、耐えられないくらい、はちきれるくらいどうしよう、好き。
新たににそんな人が現れるなんて思ってもみなかったよとは言ってた。
本当に最もだ。
わたしがほんの一時期、渋谷のあの背の高いビルで働いていたときのこと。
アジアから逆輸入という形で日本の芸能界に参入してきたその人と、たびたびエレベーターで一緒になっていた。
わたしはまったく別の会社に派遣されていたけれど、業務上エレベーターを中途半端に乗り換えなくてはならず、その乗り換え地点がその人の所属事務所のある階だった。
最初は、ああ背が高くて優しそうな人がいるなぁという何とも凡人の考えることを思った。
だけど何回か偶然エレベーターで一緒になる度に気になってジロジロ見てしまって、何となく会釈をお互いするようになっていた。
「よく会いますね」
同じ階でエレベーターを降り、口に出したのはわたしの方だった。
少し怪訝そうな顔でわたしの顔を見てから、
「あ…そうかもしれないですね」
とちょっとだけ迷惑そうに答えられたのだった。
その頃にはその人は朝ドラでフィーバーを起こしていたけれど、朝バタバタなわたしはテレビを見てなくて単純にそのことを知らなかった。
聞いた話では、ビルの入り口でミーハーな女性に写メをせがまれていた時、少し迷惑そうにしていたという。
何となく想像がついた。
その後会話も特にせず、会釈だけすることを繰り返し、その人が事務所に訪れる回数も極端に減っていった。
考えればどんどん売れっ子になっていったということだろう。
わたしは体調を崩して派遣を終了し結果そのビルに行くことはなくなり、その人と会うことはなくなった。
とにかく具合が悪かったのでただ病院のお世話になって、時間だけが経っていた。
ただテレビのCMで、その人を目にすることが多くなった。
もしかしてミーハーなのはわたしかなぁと思ってた。
ある日久しぶりに恋人と夕飯を外で一緒に食べて、ちょっと酔った彼に引っ張られながら帰宅する途中。
その人とばったり会った。
偶然だった。
「あっ」
確実に目があってお互いに小さく声を上げたけれど、その人は笑顔を作って、恋人の方に話しかけた。
「櫻井くん。この間ぶりです」
「ディーンさんじゃないすか!夜会ぶり?えっ、この辺よく来るんですか」
「番組で紹介してもらったお店が近くて。ときどき行ってます」
そういえば、バラエティ番組で彼らは共演していたのだった。
わたしはドキドキし始めて、なんでこういう偶然ってあるんだろうとか、むしろ運命なのかもしれないとか何でも運命論に紐づける妄想をしながら、ふたりが盛り上がっているのをただニコニコしながら見ていた。
話を振られたのは、その人の一言からだった。
「そちらは彼女さんですか?」
「ええ、もう長いんですけどね。、ディーン・フジオカさんだよ。テレビでよく見てるだろ」
「はじめまして。フジオカです」
「は…はじめまして、です」
はじめましてじゃないんだけどなぁ、でもその方が都合がいいんだろうな。
恋人の翔くんはお酒の力でちょっとテンションが上がったのか、高めのトーンで話している。
「あれ、前アミューズの入ってるビルで働いてたよね」
「あ、うん」
「ふーん。たまに事務所行きますけど、お会いしたことないですね、人多いですしね」
「そうですね…わたしも、もう辞めてしまったので」
やっぱり、初対面の方が、面倒じゃないんだな。
翔くんは今度食事に行きましょうとかそんな社交辞令みたいな話をして、その場は別れることになった。
目が合った。
奥二重の瞳は、第一印象とは変わらず優しめ。
どこか子犬みたいな眼差し。
ぎゅっと心を掴まれてしまった。
年齢を重ねるごとに惚れっぽくなったのか、もしかして浮気っぽくなったのか。
「かっこいいよなぁ、俺と1個違いなんだけど、あれでパパなんだよ、外国人の奥さんがいてさ」
「え…?そうなの!?」
「何、なんでそんな食いついてんの」
翔くんは笑ったけど、わたしは正直、ちょっとショックだった。
永遠にチャンスないんだなぁ、って。
その夜寝る前、ネットストーカーみたいにその人のことを調べた。
偶然に偶然が、重なった。
こう連日遭遇すると思っていなくて、しかもわたしは今一人で、その人も一人。
「こないだびっくりしました。ジャニーズの彼女だったんですね。さては只者じゃないですね」
「その言い方…ていうか、初めましてのふりしましたね」
「説明が面倒かなって」
「けっこう何回も、会ったと思うけど」
「顔を覚える程度には。というか、あのオフィスビルで働いている人はだいたいもっと服装が地味だったので覚えざるを得なかったというか…。秘密がある方が面白いんじゃないですか」
どういう意味?
立ち話もなんなので、なんとなく少し、歩き始めた。
「あの、ドラマ見てます」
「ありがとう」
「かっこいいんですね。本物の方がいいけど」
「ストレートですね」
「わたし、思ったことは素直に言います」
「嫌いじゃないです。日本の奥ゆかしい感じは、美しいけど時に遠回りですよね」
涼しい風が吹いているのにじわりと汗が出そうになった。
いろんな国を渡り歩く人の単なる感想だろうか。
「わたしの友達も、フジオカさんかっこいいって言ってます」
「ありがたいですね」
「わたしは、…こうやってなぜか直接お会いする機会があるので、ちょっと本気になりそう」
「僕、奥さんいますよ。子供も」
「知ってます」
「嵐の櫻井翔と付き合ってるのに?」
「そのことは忘れてください」
「本当に思ったこと言うんですね」
ちょっと動揺した声色を感じ、わたしは何を言い出したのかな、と自分で焦ってしまった。
一切の駆け引きも通用しない気がして、なぜかストレートにしかものが言えない。
今日もまた目が合って、やっぱり子犬みたいな目をしてる。
少し困った感じで、どこか遠くを見ているような。
だけどしっかり、わたしのことを見ている。
「僕、さんのこと何も知らないな、当たり前だけど」
「わたしも知らない。ネットに載ってるくらいしか」
「あはは」
笑われて、つられてわたしも笑ってしまった。
透き通るような声だった。
「僕が思うにさんは浮気するタイプですね」
「いや…わたし、割と一途な方で…」
「そんな風には見えない」
言い返す言葉もない。
今までに一度も浮気はしたことないけれど、何を思ったのか今こんなことを言っているわけだし。
言葉での表現の仕方をどんどん、忘れている。
「そうだなぁ、ごはんくらい、行きますか」
「えっ…いいんですか」
「食の好みが合う人が少ないんです。あ、僕グルテンアレルギーで」
「し、知ってます、テレビで見たので…」
「いろいろ知ってますね、ていうかチェックしてますね」
「一途なので」
「一途な方向、おかしくないですか。じゃあ、僕がフォー好きなのは」
「知ってます」
食い気味に返してしまって、頰が熱くなるのを感じた。
どうしようもないな、わたしって。
「フォーに対するこだわりについては」
「あることは知っているけど…」
「じゃあ今から言うので覚えて下さい。スープはめっちゃ熱く並々と注がれていること。肉は絶対に鶏じゃなく牛肉で。具の入れすぎは味がブレるので、野菜はもやしたっぷり、あとはコリアンダーとパクチーとタイバジルくらいで、青唐辛子の薄切りとライムを少し絞ります。肉は別のタレにつけて食べるからスープは汚さないこと」
「え、ちょっと待って、覚えられない」
「覚えた頃に行きましょう」
もしかして、からかわれたかな?
その人はまた笑って、それじゃあと言ってわたしと反対方向に歩き出そうとした。
だけどこれじゃいつまた会えるかわからないし、今言ったフォーのこだわり、たぶん覚えられないし。
「フジオカさん、LINEを交換してください」
「返信するかわからないですよ」
「構わないです」
「困ったな…じゃあIDだけ受け取ります」
どこかで学校の鐘が鳴って、それはただのチャイム音ではなく、恐らくカトリックの大学が1日の授業の終わりを知らせるものなんだけど、その鐘が鳴り終わる前にわたしは自分のスケジュール帳を破いて、急いでLINEのIDを書きその人に渡した。
その人はそれを受け取って、ろくに見ず、そのままポケットにしまった。
「それじゃあ」
「あの、フジオカさん」
「何でしょう?」
「名前を覚えててもらって嬉しかったです」
黒目がちな瞳が優しくなって、でも何も言わずにくるりと踵を返してその人は去っていった。
わたしからのコンタクトはできない。
いつ連絡が来るかわからないし、永遠に来ないかもしれない。
それでも、いつかエレベーターでちょっと迷惑がられた時よりはるかにマシだった。
ちょっと心を落ち着けたくてその辺のカフェに入った。
5秒ごとにため息が出て、ちょっとどうかしちゃったのかなと自分に呆れる行為を繰り返した。
わたしが今翔くんと付き合っているのも偶然で、今回のことも偶然。
もしかしたら、人生は全部偶然が重なってできているんだな。
正直に生きていると息が詰まる。
来ないかもしれない連絡を、わたしはずっと待つことになる。
2016/10/24 6号