ひかえめ金木犀
偶然を装って出会える確率が、その数字が今右肩上がりかも。
彼は下から見上げるわたしの視線をおそらく痛いほどに感じたのか苦笑しながら一言目を放った。
「なんですか?会うなりじろじろ」
「"インフルエンザには気をつけてインフルエンサーのお仕事頑張ります"…わたしへのメッセージかなぁって」
「え?」
「えへへ、冗談です。改めて、新しいお仕事への就任おめでとうございます、主題歌も楽しみ」
笑顔が穏やかになる。
それはいつもの場所にて。
寒いけれど、よく晴れた日だった。
「確かに少しだけ意識しました。年明け早々インフルエンザになってた人のこと」
「ほんと?わたしのこと?」
「うーん、どうかなぁ」
首を捻る仕草は少しわざとらしくて、わたしは自然ときっと楽しい顔をしたと思う。
嬉しい顔もした。
「ディーンさん、あの、ごはんは」
「もう食べちゃいました」
かぶせ気味に返答が来る。
今日においてはむしろ小気味よいくらいだ。
インフルエンサー、影響を及ぼす人のこと。
それは彼の4月からの新しい仕事。
ツイッターで似たインフルエンザという言葉をわざわざハッシュタグ付きでツイートしているのを見たときには、本当に自分のことを少し気にしてくれたのかなとか思ってしまった。
ゆっくりとお互い歩き出す。
はるかに高い身長は、見上げないと顔まで視線が届かない。
「なんでごはん毎回食べ終わってるんですか」
「それはこちらのセリフです」
「え」
「特に待ち合わせしたわけでもないので、僕が勝手に待ったんですけど」
「待っててくれたんですか?」
「いや、待ったというか、すごくゆっくり食べました」
たぶん、今日この店に行きますとわたしに連絡をして、わたしが遅いのもわかっていたんだと思う。
彼の中で先に食べ終わるのはいつも通りのお決まりで、ただ優しさで時間を潰してくれたんだ。
小麦が食べられないせいでお気に入りのお店には足繁く通うらしいから、たぶん本当はもっと何度も来ているのかもしれない。
連絡をくれる時は、ほんの少し時間に余裕がある時なのかも。
わたしも毎回お呼び出しに答えられるわけではないけれど、できる限り飛んでくる。
「あのね、あっちの方のカフェが行きつけなんですわたし。モカがおいしい」
「こないだのところですよね、隠れ家っぽくて割と良かった。お香の香りもいい」
「行けますか?お茶」
「少しなら。公道もなにげに目立ちますからね」
心の中で万歳三唱した。
ついにお茶に付き合ってくれるようになった。
わたしはLINE友達から、お茶友に昇格できたのかしら。
例のエランドール賞授与式の日の翌日から彼は突然鹿児島に行っていて、聞いていなかったし当然彼もわたしに言う義理はないのだけれど、いきなりすぎる展開だった。
五代友厚像との自撮りインスタグラムに♡マークを付けながら、一体何の仕事をしに鹿児島に行っちゃったんだろうと思っていたところでわたしも仕事が怒涛の期間に突入してしまった。
一方で世の中はバレンタイン一色で、家で空き時間にスタッフ宛の義理のお菓子を作りながら、本当に日本のバレンタインはどうかしてると憤ったものだ。
翔くんが出来上がった大量のスコーンをひとつかじって、「おいしいけど俺もこれで済まされるの?」とか言い出すから別でクッキーも焼いてあげた。
なかなか彼には連絡できなくて、彼からの連絡もなくて、バレンタイン当日にただ連絡を取りたくて『ハッピーバレンタイン!』と一言送信した。
返事は短い一言
『あざーす!』
お互いの大雑把なやり取りは、残念ながらたいしたムードを生まなかった。
「このカフェお忍びの人多いので、情報漏れとかしないので安心してください」
「それはありがたい。ところでさん最近忙しそうですね」
お茶を注文して、ニコニコしながら彼が言う。
年齢の割に屈託なく、最近は人懐こい印象が強くなった。
人当たりはとても良いと思う。
この顔を見ると、最初の頃とは大違い。
「ちょっと立て込んでしまって。ディーンさんもいきなり九州行ってた」
「初九州です」
「いいなぁ、わたしも行ってみたい。桜島大根」
「うーん、それは食べ物かもしれない」
「おいしいもの食べました?」
「もちろん」
いいなぁ、ともう1度わたしは言って、運ばれてきたモカに口を付けた。
甘さが食道をスーッと通っていく。
何でもない顔をして正面に座っている彼。
顔を見るの、たぶんすごく久しぶりだ。
インスタグラムで見る写真はかっちりとしていることが多いけれど、今は髪もセットしていなくてとてもラフ。
ラフな方が彼の素なのかなと、それを見られることはとても嬉しい。
「バレンタインめっちゃお菓子作ってましたねー」
「あっ、ツイッター見ちゃいました?」
「見るリストにいれたって前に言いませんでした?」
「言ってた」
「ちょいちょい見てますよ」
いつもふと忘れそうになる。
ツイッターを見られていること。
翔くんだってわたしのツイッター見ていないのに。
わたしも彼のツイッターとインスタグラムをチェックしているから、そんなに驚くことではないのかもしれないけど。
「ディーンさんにもお菓子あげたかったかも」
「クッキーもスコーンも食べれないので大丈夫です」
「今もしかして、アレルギーを理由にやんわりと断りました?」
「あはは。旨いフォーだったらいくらでも食べるけど」
「それです!早く連れていってほしいです」
「ぜひ。そのうち」
ぜひそのうち…実にふんわりとした答え。
前にもぜひぜひと言われて本気にしているけど、そのぜひは未だに来ない。
いつか来るのだろうか。
わたし、毎回ごはんにって言ってるけど、焦らす遊びでもされてるかもしれない。
どうかな、天然だって最近気づいたし。
「しかし日本の女性は大変ですよね、バレンタイン」
「わかってくれますか」
「わかります。日本に戻ってきてから、ああそうだったって。年取って帰ってきたから余計になのかな」
「ううん、ほんとそう。なんで義理チョコあげなければいけないのか…男子からでしょ?普通」
「その普通、どこから来てるんですか?」
「わたしの中でもバレンタインは女子から男子へチョコをあげる日ではないのです、むしろ男子から告白してくればいい」
「外国的ですね」
「そうかな…あ、お父さんが会社でチョコたくさんもらってきて、それを食べるのが小さい頃は好きだったけど」
「櫻井くんこそもらってそうですけど」
「えっ?」
大変ですよねーと再度言って、彼は自分の飲み物を一気に飲んだ。
そういえば翔くんは喜んでクッキーを食べていたけど、誰かから他にチョコをもらったりしたのかな。
意外にわたしに黙っているだけで、本命チョコをもらっていたりして。
「あ、バレンタインに因んだわけではないんですけど、僕さんに渡すものがあって」
「なんですか?」
「九州土産。実はこのために今日はここへ来ました」
「ほ…ほんとに?嬉しい、ありがとうございます」
「いえいえ。さつまいもは大丈夫?」
「大好き」
「良かった。食べてください。日持ちがそんなにしないので。じゃあ、僕そろそろ行きます」
さつまいものコンパクトなサイズのお菓子を手渡され、彼はまたわたしを置いて去っていく。
しかも伝票と共に。
最近もらったり奢られたりしまくりだ。
風のように去っていってしまったので、慌ててLINEを開いてお礼を送った。
『どういたしまして。ところで話してて思うんですけどさんってフワフワしてますよね』
なんか、前にも言われた気がする。
でも、自分こそフワフワしてるじゃない。
『そんなことないです』
『自覚ないんですか?これは本物ですね』
『何の?むしろディーンさんがふわふわです』
『僕はどっしりとした男ですよ』
自覚ないんだ。
笑ってしまった。
モカを飲み干して、お菓子をバッグにしまう。
翔くんにはあげない。
ひとりじめする。
今日はなんていい日なんだろう。
2017/2/20 6号