鉤爪ひっかいて傷
剛くんは早めにはじまった夏のドラマの撮影で忙しそうだ。
忙しそうだけれど楽しそうにしているから良かったなぁ、と最早家族の心境で喜ばしく感じる。
家族の心境……そんな気持ちになる日がくるなんて思わなかった。
私は剛くんのことを好きになった時、全身から彼が好きだという気持ちが溢れてしまって、冗談ではなく365日剛くんのことを考えていた。
こんなに好きになる人はもう一生現れない。
剛くん以外考えられない。
一生恋する気持ちでいるんだと思ってた。
だから家族の心境になっている自分にびっくりしている。
それってやっぱり別の恋を見つけてしまったからなのかしら。
「普通に好きなんだけどどうしよう!」
「普通に好きなのいいじゃない。あいばっちゃんが聞いたら喜ぶね」
「やめて雅紀に言わないで!」
櫻井家にお邪魔して、久しぶりに女子会をしている。
散らかってるって言っていたけれど、言うほど散らかっていなくては偉い。
一緒に住んでいるってことは奥さん的なことをほぼ毎日しているということだ。
「は翔くんと一緒に住んで長いけど、翔くんを男としてみれる?家族の気持ちにならない??」
あ、でも長く住んでるわりにちゃんと夜の営みのある二人だから聞くだけ野暮な質問かなと言い終わってから思う。
は少しうーん、と考えたあと「ちゃんと男の人として見てるよ」と答えてくれた。
「だよね。ですよね。はぁ……」
「どうしたの?まさか森田さんのことをおとこの人として見れないの?」
「まさか!それはない!トキメキしか感じない!……っていうのは言い過ぎだけど、今後そうなってしまったら嫌だなっていう……」
「そっか。難しいよね」
も小さく息を吐いて、わかる、と頬杖をついている。
こんな話しできるのはくらいしかいなくて、性格は違うのに共感できることは色々と多い。
「あと……私、雅紀とその……するのが、すごく良い感じなの」
「きゃー!!ますますあいばっちゃん喜ぶね!」
「これも言わないでね!!?!」
自称双子な二人は情報共有半端じゃないので今の話はさっきよりも強めに念を押させてもらった。
彼氏がいるのに別の男としたセックスの話を会社の同僚には話せない。
「なんでなんだと思う?前に雅紀と付き合ってた時は今ほどじゃなかったと思うんだよね」
「やっぱりそれは、恋してるからよ!」
「恋!!」
「恋をし〜ちゃいまし〜た♪だよ」
が懐かしいハロプロの歌を口ずさむ。
昔よりも確かに好きの温度が今より高いかもしれないのは否めない。
「それか単純にあいばっちゃんのテクがあがったのかもだよ〜」
「テク!?」
思わず赤面してしまう。色々と思い出されるあれこれ。非常に恥ずかしすぎる。
こんな話をしていたら、なんだか雅紀が恋しくなってきてしまった。
ニヤニヤしていると目が合うと、思い出したようにが真顔で両手を合わせていきなり頭を下げてきた。
「にお願いがあるの!」
「え?うん。なに?」
「の家に泊まったことにしてほしいの」
「……よく分かんないけど、翔くんに何か言われたらそう言えばいいのね?」
「察しが良すぎるよ!」
「任せなさい」
何故そんな嘘をつかなくちゃいけないのか聞きたいきもしたけれど、とりあえず今日のところは深くは聞かないことにした。
そしたらタイミング良く家主が帰宅してきて、私を見て少しびっくりしていた。
「なんだちゃんか。いらっしゃい」
「お邪魔してまーす!」
「翔くんおかえりなさい。なんでびっくりしてたの?」
「また相葉ちゃん来てるのかと思ったらちゃんだったからさ」
「え、雅紀そんなしょっちゅう来てるの?」
「まさかー!しょっちゅうではないよ〜」
「頻度は高いと思うけどね」
半笑いで言ってから、着替えてくると翔くんは退室していった。
翔くんも帰宅した事だし長居するのも悪い気がして、そろそろお暇することにした。
リビングを出ると部屋着に着替えて戻ってきた翔くんが、「ゆっくりしてっていいのに」と言ってくれた。
「そうだ。この前急に泊まったみたいで迷惑じゃなかった?」
「あー……いや、大丈夫!盛り上がっちゃってね?」
「そうなの!盛り上がってしまったの!」
「何に盛り上がったかすげー気になるんだけど。気をつけて帰ってね」
櫻井家を出て、駅に向かいながら思う。
が翔くんに嘘をついて外泊したのは、まさか別の男?
いやまさかね。そんなわけないか……と思いつつも自分は現に別の男がいるわけで。
でも結局そんなわけないか、という方向に思考は落ち着いてしまった。
いつもなら帰るのが遅くなると剛くんの家に行くんだけれど、舞台とかドラマ中はあまり行かないことにしている。
舞台の時は特に役に入っていたりするから行って邪魔になりたくなかった。
そういう我慢が剛くんにだと出来るのにどうして雅紀だとできないんだろう。
気づいたらタクシーに乗って、雅紀のマンションに向かっていた。
特にLINEに連絡したりはしていない。
いきなり行ったらどんな反応するのかすごく興味があった。
エントランスに入る前にマスクをつけて、コンシェルジュに部屋番号を伝える。
コンシェルジュはさして表情を変えずに取り次いでくれた。
どうやら雅紀は帰宅していたらしい。
エレベーターの中でふと、私は一体何をやってるんだろうと自己嫌悪に陥った。
罪悪感を抱えたままインターホンを押すと、バタバタと足音が近づいてきて勢いよくドアが開いたかと思うと、ものすごい勢いで抱きつかれた。
頬っぺたにあたる雅紀の髪の毛が濡れている。
ボディソープの匂いもして、きっとお風呂から出たばかりなんだろう。
「どしたの?連絡もしないで来るなんてめずらし……」
雅紀がしゃべり終わる前に私からキスをして、玄関の中まで雅紀を押し戻す。
バタンと背後でドアの閉まった音がした。
すごく背伸びをしないと雅紀の唇に届かないから結構つらい。
それに気づいたのか雅紀は首に回した私の手を掴むと、空いた手で腰を支えて身体を倒してきてくれた。
この私の自己嫌悪がなくなるくらいに、何も考えないでいられるようにしてほしい。
私の意図が伝わるわけはないけれど雅紀は私の望む通りにしてくれた。
2017/4/1 18号